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| KOBAYASHIグループ40余年の歩み |
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KOBAYASHI−GROUP HISTORY〜40TH〜 |



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日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)オートバイYA-1型用のブレーキのカムレバーとカムシャフトの加工を受注。
これを機に合資会社小林鉄工所はオートバイ部品の加工に着手。 |
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歯切加工の専門工場として、小林省二の自宅(浜松市相生町)内に幸和製作所を設立。
省二が東京に出向き、中古の歯切盤(NM-130型・万能精密歯切盤。通称「ミクロン」)を97万円で購入。当時、幸和製作所は、浜松地域においてミクロン歯切盤導入の先駆けであった。 |
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万能精密歯切盤「ミクロン」 |
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小林鉄工所中島工場では、楽器部品を製造していたが、古旋盤を改造してブローチ加工を始める。当時、浜松地域でブローチ加工技術を有する会社は希少で、多くの受注を抱え多忙を極めた。
また、幸和製作所の歯切加工と合わせ、歯切りとブローチの両方ができることが強みとなり、発注先から重宝がられることとなった。
なお、この年の後半、新たにブローチ盤を購入し、生産性の向上を図った。 |
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小林鉄工所より中島工場を分離独立し、資本金100万円で株式会社小林製作所を設立。日本楽器製造(株)より協力工場の認定を受ける。
さらに幸和製作所の社名を変更し、資本金20万円で有限会社小林精機製作所を設立。ヤマハ発動機(株)より協力工場の認定を受ける。
これをもって小林工業株式会社の事実上のスタートとなった。
この年の12月には小林精機製作所の資本金を50万円に増資。 |
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フル稼働のヤマハ発動機(株)
生産工程(浜名工場) |
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浜松市竜禅寺町に工場用地を購入。
この年の9月に小林精機製作所の資本金を100万円に増資 |
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竜禅寺町の工場用地に新工場を建設。
まず小林精機製作所が、続いて小林製作所が移転した。 |
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それまで鉄板で作っていたオルガンキーの取付金具をアルミ製に。
また、この年からピアノのセンターレールの生産も開始した。 |
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| 業務拡大 〜KOBAYASHIの新たな挑戦〜 |
1965
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浜松市寺脇町の鉄工団地に寺脇工場を建設。
金型の自製を開始。
これにより、1本につき約20分を要していたオルガン脚の加工が、2分で行えるようになった。これが日本楽器製造における電気オルガンの増産に大いに貢献した。
この後、中学校を卒業したばかりの新入社員でも入社翌日から即戦力として作業に従事できるよう、機械や治工具の改良に努めた。 |
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寺脇町に完成した
小林精機製作所寺脇南工場 |
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小林精機製作所に転造盤を導入。
歯切盤で40秒から2分を要していた作業が、わずか2秒で完了した。
9月には小林精機製作所と小林製作所の製造部門を統合し、資本金800万円で小林工業株式会社を設立。 |
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ヤマハ発動機がスノーモビルを発売。
当社ではスキーとハンドルのつなぎ部分にあたるコラムスキーの加工を行った。 |
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ヤマハ発動機磐田工場にオートバイ組立工場が完成。
この頃から同社におけるオートバイの製造が急増した。協力工場である当社でも、こうした動きに合わせて早急な設備投資を迫られた。 |
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温水ボイラーの部品を製造、日本楽器製造へ納入。
なお、同社でこの年、温水ボイラーとともに、洗面化粧台の発売も開始し、さらなる多角化に乗り出している。
一方、ヤマハ発動機でも、2月にヤマハパーツセンターを竣工、さらに12月には中瀬工場を稼動するなど、一層の増産に向けて着々と体制が整えられていた。 |
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日本楽器製造が昭和32年以降いったん中止していた家具の製造を再開し、その第1弾として、ユニット家具ならびに単品脚物家具を発売。家具およびテーブル脚の製造を当社が受注した。
なお、このユニット家具は、買い増しができるというメリットと優れた機能性から当初の予想を大きく上回る売れ行きを示した。 |
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日本楽器製造がエレクトリックグランドピアノ(CP-70、80)を発売。
それに先立ち、当社ではCP-70のスタンドを受注。 |
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| 次の時代へ 〜大きな転機を向え、大きく飛躍する〜 |
1980
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| 創業者 小林省ニ、逝去にともない、小林正和 代表取締役社長に就任。 |
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社長就任当時の小林正和 |
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| QC活動「Go-Up活動」を開始。職場ごとにグループをつくって活動に取り組む。 |
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| コンピュータの導入により、最初の生産管理システムを開発。 |
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3月、ソフトウェア開発を目的とした株式会社エンテックを設立。
7月、日本楽器製造がクラビノーバCVPシリーズを発売。同社では昭和57年からクラビノーバの生産に着手しており、このCVPPシリーズはピアノ、エレクトーンに続く"第三の楽器"として期待されていたクラビノーバ普及の、大きな推進力となった。
そして11月にはクラビノーバCLPシリーズも発売、当社ではグラビノーバの脚の製造を行った。 |
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渥美工業株式会社と取り引きを開始。
日本楽器製造よりエレクトーン関連部品を受注。フレーム、ニーレバー、ペダルボックスなどを製造した。 |
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この年発売されたエレクトーンHX。ユニット方式の採用により、エレクトーンの世界をさらに広げた |
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竜禅寺北工場、南工場を新設し、組立工程の拡充を図った。
5月にはCAD設計システムを導入。設計の高度化・効率化を図った。 |
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プレス金型用ダイハイト調整機「DA−100M」「DA−800M」を開発。
各工場のオンライン化により、トータル生産管理システムを確立。 |
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| 会社のコーポレートカラーをイエローとし、ユニフォームを刷新した。 |
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竜禅寺新工場を建設。
入り口に幸和製作所が創業当時導入した万能精密歯切盤を展示。 |
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4月にヤマハ(株)より協力会社最優秀賞を受賞。
自社製品であるプレス用ダイハイト調整器が特許を取得。
6月7日付で特許庁の特許原簿に登録された。 |
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特許を取得したダイハイト調整器 |
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| 世界へ 〜世界に目を向け、大きく羽ばたく〜 |
1996
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5月に竜洋工場を新設。寺脇工場よりシャフト加工の職場を移設し、操業を開始。なお、竜洋工場の誕生は、海外への積極的な進出と、国内生産拠点の一層の充実を両立させる。「グローカル型企業」に向けての貴重な第一歩となった。
9月にはタイおよび周辺諸国の市場拡大を目的に、資本金750万バーツでKOBAYASHI AUTOPARTS(THAILAND)LTD.を設立し、操業を開始。
ヤマハ(株)より協力会社優秀賞を受賞。 |
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Kobayashi Autoparts(Thailand)Ltd.にて。右から二人目が正和社長 |
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4月にヤマハ(株)のリビングキッチン部門と取り引きを開始。キッチン椅子ならびにダストワゴンの生産に着手。
ヤマハ(株)より協力会社優秀賞を受賞。 |
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7月に竜洋工場の軸物加工を統合し、寺脇工場より研磨加工設備を移設した。
10月にはKOBAYASHI AUTOPARTS(THAILAND)LTD.の資本金を
3,150万バーツに増資。
ヤマハ(株)より協力会社優秀賞を受賞。 |
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8月にKOBAYASHI AUTOPARTS(THAILAND)LTD.の新工場完成。
(敷地面積7200u/建物面積1500u) |
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| YAMAHA MOTOR MANUFACTURING CORPORTION OF AMERICAとの取引開始。 |
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4月、楽器部品部門を分社化。(株)イシイ システム事業部と統合し、(株)ケー・アイ・エスを設立。
KOBAYASHI AUTOPARTS(THAILAND)LTD.の工場増築。(計2266uとなる)
5月には、インドネシアにPT.KOBAYASHI AUTOPARTS INDONESIAを設立。
10月より生産を開始する。 |
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4月、KOBAYASHI AUTOPARTS(THAILAND)LTD.増築。(計4090uとなる)
8月には、(株)ケー・アイ・エス生産部門を豊岡工場へ集約。
これにより小林工業は寺脇工場・磐田工場・竜禅寺工場の3生産拠点体制となる。 |
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